養老町大巻美波(旧下組)には2ヶ所に門徒講組織があって今日も続けられている。

そのうち二十二日講は、寛政4年(1792)2月22日に本願寺第十九世であった乗如の示寂にともない、達如が第二十代法主を継承したことに由来する。講は蓮如上人の御文の拝読を中心とし、御文には「毎月両度の寄り合いの由来は」と講の本意が記されている。

二十二日講は講員13戸で毎年暮に、クジにて翌年の月ごとの当番を決め、毎月その当番の都合の良い日に講が開かれる。その前日に以前の当番から新しい当番へ座敷の上り口で御書及び関係書類を納めた箱が手渡される。御講は最初に読経があり、正信偈、光明月日和讃が唱和される。次に御書様の御拝読があり、その後食事となる。以前は御講で膳料理が振る舞われた。膳は一汁一菜と定められている。食後には談話、法談、時局、農事などの話に花が咲く。

また大巻の十三日講は本願寺十七世真如上人下付の「三ヶ条の掟」の御文の御書を中心に毎年10月13日に継続されている。

講衆の葬儀には、講中が仏前の荘厳(しょうごん)、焼香の世話をし、葬列の先導役をする。以前には講袴、肩衣があったが今は見当たらない。養老町にはこうした講組織が各地に継続、あるいは名残を留めている。江戸時代初期より何十度となく水害や地震等災害にあった水場地帯の一般家庭には先祖伝来の家宝というものはほとんど失われてしまっているが、その中に御本尊、位牌、御書だけは大切に保存されてきた。災害となれば何をおいても持出し命を懸けて守って来た遺産である。

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