信仰

押越の生業は、ほとんどが農業であった。押越の北側にある新道町はサラリーマンが多かった。新道町は「町内(まちうち)」と呼んでいた。
養蚕は昭和30年(1955)位まで、長いこと行っていた。トラックに積んで、繭を恵那まで持って行った。石畑や明徳は桑畑ばかりであっ
[...]

高田地区字押越在住のA氏が子どもの時、昭和20年代から昭和30年代の頃は朝の登校前に一遊びして、それから10人くらいまとまって登校していた。幼稚園位から、高等小学校の子に付いて歩き、大きい子の遊びを覚えた。
よく押越の子どもが固まって一緒にいたので、他地域の
[...]

広幡地区の燈明は、2012年現在、口ヶ島の字寺田地内、口ヶ島の元庄屋・田中耕馬氏の新屋前にある。明治初期に今の位置に燈明が移転されたそうである。田中耕馬氏が移転させたという話があるが、実際は耕馬氏のご祖母が行ったそうである。
燈明は、現在地域の人からは「大神
[...]

飯田の人で、相順寺の門徒は少ない。飯田の住民の、A家は飯田の相順寺、B家は橋爪の念長寺と直江の蓮光寺、C家は大垣市十六町の光照寺の門徒である。

虫供養、虫送りの行事の話は聞いたことはあるが、実際にお供えした場所などは記憶にない。