タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

信仰 | タギゾウくんの養老ノート | Page 2
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信仰

織田河内守長孝の大塚村屋敷跡と浄蓮寺の野村モミジ

織田河内守長孝(おだかわちのかみながたか)領屋敷は、現在の安久(やすひさ)地内、名神高速道路南の正覚寺、須賀神社付近にあったと推定されるが、同寺社ともに江戸期の創建であり、屋敷が所在していたであろう時期と重複している。安久村は江戸初期、正保(1596)頃郷帳に [...]

祖父江輪中とその排水

多芸郡祖父江村は、元和2年(1615)の関ケ原合戦から15年後に江戸幕府より幕府直轄の地となった。庄屋は川瀬彦兵衛といい、江州(現在の滋賀県)の豪族の子孫であった。当地は早くより開発された地域で、杭瀬川、小畑川に挟まれた微高地である。多くの河川が集まってきた所 [...]

中野屋(中長商店)の資料と高田町の様子

大正年間の高橋山羊牧場の領収書がある。ヤギ牧場の住所は養老郡高田町中村久次郎邸内となっており、1日1合、ひと月に3升のヤギ乳の販売価格は1円35銭であった。 明治37年の伊勢参宮控や、明治2年の金毘羅大権現燈明油銭寄帳の裏には延寿講と記されており、中長が [...]

昭和53年の葬儀の様子

昭和53年(1978)3月の葬儀の際の写真がある。裸足に藁ぞうりを履いた姿で野辺の送りをされていた。履いていった藁ぞうりは三昧で処分し、帰りは自分の履物を履いて帰ってくる。平成7年(1995)に町営の斎場である清華苑ができるまではこのような野辺の送りをされてい [...]

中野屋(中長商店)の建物

江戸時代中頃になり、高田の町並みが発達してくると家屋が建て込み、表通りに面して間口を割り当てられ縦長の敷地いっぱいに建物を建てるようになった。中長商店も通り庭の間取りで土間が奥に通じている。表通りから、店、中の間、座敷と並んでいる。二階は大広間があって上段の間 [...]