タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

その他 | タギゾウくんの養老ノート | Page 25
ブラウザを認識できませんでした
レイアウトが崩れる可能性があります
(サポート対象:FireFox,Chrome,IE8以降等)

その他

佐藤正太郎氏

尾張竹ヶ鼻代官石河(いしこ)氏の配下で佐藤正太郎氏が飯田村の庄屋を務めていた。 佐藤正太郎氏が小畑村の村長を務めた時期もある。佐藤家の本家は長野県松本にある。

小畑の戦中戦後の様子

昭和20年頃、米軍の飛行機から錫の紙吹雪のようなものが撒かれ、ラジオの電波を妨害した上で照明弾を落として焼夷弾を落としていた。 飯田の八幡神社に爆弾が落ちたことがある。 大垣にでるのが便利になり、持家が増えた昭和30年から40年代にかけて、田んぼを売って家 [...]

小畑の教育

戦後、飯田から通う主な高校には希望する進路により、進学校の大垣北高等学校、実業校では大垣農業高等学校(現、大垣養老高等学校)、大垣工業高校、大垣商業高校があった。 学校の先生の給与は村の財政によって異なっており、飯田が一番安かったといわれている。 相順寺( [...]

小畑地区の舟運

江月には湊はないが土場はあった。そのため、烏江・船附・栗笠の濃州三湊から杭瀬川を通って伊勢湾、桑名、今尾、大垣の舟町湊へと続く水運があり、人物・物資の交流があった。 幕末の頃から舟運が盛んになった。赤坂山の石灰を桑名を経て名古屋へ運んだ。また、桑名や名古屋の [...]

淡海城

段海村には淡海城(だんかいじょう)という城があった。城主は織田信長が西美濃から大垣を攻める大垣城攻略のために派遣した、尾張津島神社の神官の次男、祖父江国舎(そぶえくにのり)である。津島神社の神官は昔から現在に至るまで祖父江という姓を名乗っている。 戦国時代は [...]