タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

笠郷 | タギゾウくんの養老ノート | Page 20
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笠郷

大野村の暮らし

大野は笠郷の中でも貧しい部落だった。昔から学問に力を入れていなかったので部落の大きさの割りに偉人が出ていない。 養老線(大垣桑名線、現在の国道258号線のこと)沿いに住む人は皆子供を中学に行かせていた。 団地も建ち、大野の人口が増えて戸数が倍になった。地域 [...]

下笠の人々

下笠は比較的豊かだったので文人が多い。 戦前は教員の給与がよかったが、戦後は給与も下がり、農地改革で土地も失ってしまった。 下笠では浄誓寺を東お寺、浄雲寺を西お寺と呼んでいる。構(かまえ)からも人が移動して来ていると思う。 西では殆どの名字が西脇姓である [...]

栗笠村

元々は養老町北野区にあった集落が、堤防ができるとともに栗笠に移ってきた。福地神社も字仲田にあったが、現在地、栗笠区字村内地内に遷座した。 栗笠に渡し場があった。 栗笠保育園で花まつりを行なっていた。 「多芸輪中の暮らしと水害」によれば、栗笠で昭和34年の [...]

栗笠の用水と排水

栗笠の、牧田川の中心辺りに取水口が見える笠郷用水樋管は平成22年現在は動いていない。近く撤去工事が行われる予定になっている。笠郷用水樋管は栗笠区字仲田地内にある。 市神神社の東側は船附になるが、その辺りには船附用水が流れていた。水利権は船附が持っていた。堤防 [...]

大野村の歴史

大野は、明治元年(1868)には美濃の国多芸郡大野村といった。家の数は70軒、人の数は354名で、内訳は男177人、 女177人であった。馬は12頭、牛もいたが数は把握できていない。生活については、船大工、百姓が主力であった。 明治5年(1872)、大野村の [...]