養老

昭和20年代頃、養老町の上方(うわがた)周辺は全部田んぼで、大地主の農作業を手伝ったり、小作農をしていた。また、大半の家では養蚕も行っていた。その他にわら細工、筵(むしろ)作り、縄ないなどもしていた。
上方の山は石だらけで、資源になるようなものがない。
月
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昭和39年(1964)頃、養老北小学校と養老南小学校が統合に関して昭和30年代から喧嘩をしていたが、いつまでたってもまとまらなかった。養老南小学校の代表者、山下氏と氏原氏は、二人とも強引であった。
昭和40年(1965)頃、PTA会長をしていた半田登喜代氏を
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昭和24年、名古屋大学の眼科教室の学生であった半田登喜代氏は、4月に長女出産の予定で、大学を休んでいた。1月は、半田氏のご主人が各務原にいたので、そこで毎日靴下のつぎをするなどしていた。2月に配給のお米を取りに行き、1俵弱を担いで帰る時に破水してしまった。どん
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養老小学校を良くするために、衛生面では各階に手洗いをつけた。また、暗いと子どもの姿勢が悪くなるため、照明を配慮し、窓際と廊下側で明るさが変わらないようにした。
半田登喜代氏は、どこの学校へ行ってもトイレを見るので「便所会長」と呼ばれていた。養老小学校のトイレ
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養老町の養老公園内字高林では戦後、イチゴ園があり、イチゴ狩りができた。場所は現在の養老天命反転地の東側、公園事務所の辺り一帯や、孝子神社から伊勢街道までの間一帯である。
高林のイチゴ狩りは、一旦入場すると取り放題であった。アイスクリームの機械を持って行って、
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