タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

養老 | タギゾウくんの養老ノート | Page 22
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養老

白石の生活水

白石では渡辺氏がうどん屋を開いており水車小屋を2軒持っていた。菊水の先祖である高木賢次郎氏が菊水での発電の為に水を引いた。その後山田貞策氏が白石の耕地整理でその水路を利用して、水田に水を引いていたが水漏れがあり、機能しなくなったのではないかと考えている。 こ [...]

唐谷(火打谷)

唐谷(からたに)と菊水泉の落ち水を千歳楼の別館の側に落とし、その近くに神戸文左衛門(かんべぶんざえもん)が別荘を建て、街道から公園事務所の水道を一番最初に整備した。 大正年間に養老鉄道や鍛冶屋が引いていた水道や、火打谷(唐谷)から公園事務所への水道は2010 [...]

白石村の石工

白石村には石工が何人かいた。ヨハネス・デレーケが設計したといわれる滝谷の堰堤も、白石村の石工が石積みを組んだといわれている。石工の石組頭は藤塚久治氏の先祖の藤塚臣右衛門(ふじつか しんえもん)氏が務めた。その中の最後の石工の藤田禊(ふじた みそぎ)氏が柏尾谷の [...]

薩摩義士の砂防工事

養老バーベキュー(養老1173-5)から柏尾谷へ向かう所にある砂防工事跡は、「養老町の古道p.52」によれば、薩摩義士によるものである。津屋川に土砂を流さないために、災害の時は津屋川と反対側に土砂を落とすようになっていた。

京ヶ脇の生活水

京ヶ脇には谷水と井戸のおかげで水を確保できるため人が住みついたのではないかと考えている。町道水が完備されるまでは、谷水で生活していた。谷からの水路を作ったり、竹に水を通したりしていたが、後に鉄管等で水を引いた。養老町が合併した後に、谷の上の方を水源とする谷水を [...]