芸妓さん
昭和30年代から昭和40年代(1955~1974)は養老町の花柳界が大変賑わっていた。 昭和42、3年(1967、68)頃に養老町の花柳界に入られたA氏によると、30分単位でお座敷をつとめていて、芸妓さんの手取りは30分で200円程だった。ただし宴会中にもら [...]
タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。
高田
昭和30年代から昭和40年代(1955~1974)は養老町の花柳界が大変賑わっていた。 昭和42、3年(1967、68)頃に養老町の花柳界に入られたA氏によると、30分単位でお座敷をつとめていて、芸妓さんの手取りは30分で200円程だった。ただし宴会中にもら [...]
養老町高田の大黒屋さんと清水さんの間の駐車場に、藤川楼(ふじかわろう)という料理屋さんがあった。 豆馬亭(とうまてい、養老公園1282)さんのご主人、村上雄三氏が経営していたが、やがて店はたたんでしまった。 村上雄三氏の奥さんが藤川楼の女将であったかどうか [...]
押越の娯楽では、八幡神社(押越)の祭りの時に歌謡ショー(素人のカラオケ大会)を開催したり、青年団が芝居を行っていた記憶がある。押越は素人芝居が有名で、高田の町にも行っていた。八幡神社(押越)の前の舞台を借りて、歌謡ショーや芝居をしていた。万両会(まんりょうかい [...]
昭和20年代に、戦争中の鉄の供出で、押越の西福寺の鐘を持って行かれて、非常に悲しい思いをした記憶がある。鐘も半鐘も、二つとも持って行かれてしまった。子供にも分かるほど、鉄の供出は村にとっては大きな出来事であったのだろうと思う。 学校から旗を立てて、高田の駅ま [...]
高田の映画館(劇場)は、終戦後にスーパー養老の前に出来た。その映画館で、志村喬の「生きる」を観て、感動した記憶がある。他には春日八郎などが来ていた。今は空き地になっている。 昭和30年代前半には、中学生は大垣へ映画を観に行っていた。