高田

養老町飯ノ木の道標の位置は変わっておらず、養老から高田へ向かう途中の分岐点に建てられていた。また、関ヶ原への道しるべともなっていた。「右 高田 関ヶ原 左 養老 道」とある。

西岩道で、西脇文夫氏の家は伊勢講の事務をご祖父の時代の明治期から100年に渡って務めた。
伊勢講の始まりは慶応3年である。
西脇鉄次氏が田を1反半ほど寄付し、取れる米の売上げを伊勢講に充てた。西岩道の氏神は八幡神社である。昔は1月8日に伊勢講に出発して14
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世に宝暦の治水と呼ばれた薩摩藩による「濃州、勢州、尾州、川々御手伝御普請」は、宝暦4年(1754)から5年(1755)にかけて一ヶ年余りの歳月をかけて947人という薩摩藩士と総工費約40万両という巨費を投じて完成した。
2010年現在32代目の島津家当主も毎
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直江に2反(約1,983 ㎡)ほどの縄の内という地名があり、島田地区の飛地である。
江戸時代には直江の人々が水がつくのを避けて南から北に移り始めていた。杉野家では元々土地が高く整備されていたため移住はせず、南直江には地主4軒のみが残った。村はもとは全部南直江
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御井神社跡碑文の北、名神高速道路の高架下を通るトンネルのあたりに、馬に乗って池に入って行った人が出てこられなくなったという伝承が残るほど深い池があった。この池は昭和37年の土地改良と名神高速工事のために埋められたが、約500㎡の広さがあった。
金屋と安久や直
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