多芸東部

飯積の八幡神社で山車の幕や人形浄瑠璃に使われた人形の頭や衣装、花火の調剤道具がみつかった。2010年現在は、多芸公民館にて保管されている。
金屋は50年前まで三昧(さんまい)で胴藁(どうわら)で火葬にしていた。金屋126の西側が三昧道(さんまいみち)と呼ばれており、そこを通って遺体を主に玉泉院に運んだ。
金屋の三昧は、元は安久の庄屋大矢家の土地であったが、次に庄屋今津家の手に渡り、やがて金屋の村
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第二次世界大戦の終戦から2年間、三神町で作ったスポンジの毬をリュックサックいっぱいに詰め込んで、汽車に乗り京都や大阪に売りに行った。京都駅には取り締まりの警官がいたため、山科付近で窓から投げ捨てた。当時の鉄道の状況は、大垣に戻ってくる切符は一週間に一度しか売ら
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多芸小学校は、昭和22年(1947年) 、多芸尋常小学校から養老郡多芸村立多芸小学校と改称され、校舎が増築された。直江、飯積、金屋の地域の人々が共同で小谷山の木を切り出して校舎を建てた。現在は敷地の半分は住宅地になっている。
多芸高等尋常小学校の校章には鏡、
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西光寺の跡付近に旧多芸橋、さらに南に旧高田橋があり、2本の橋を渡ることによって高田に入れた。旧高田橋の近くには今も燈明が建っている。
大正天皇が皇太子の頃、高田小学校に巡幸されたときにも旧多芸橋から旧高田橋を通り、千歳楼に宿泊された。
牧田川を旧高田橋の近
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