祖父江の信仰心
祖父江では報恩講や伊勢参り、左義長を行っている。お寺の行事で改修工事がある場合など、江月、祖父江周辺では積極的にお布施を出し合う。また、割り当ても現在の身代(財産)、先祖の偉業を考えた上でお布施の割合を決める。決めた後にも隣近所を意識して競い合ってより多く出そ [...]
タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。
小畑
祖父江では報恩講や伊勢参り、左義長を行っている。お寺の行事で改修工事がある場合など、江月、祖父江周辺では積極的にお布施を出し合う。また、割り当ても現在の身代(財産)、先祖の偉業を考えた上でお布施の割合を決める。決めた後にも隣近所を意識して競い合ってより多く出そ [...]
段海村には淡海城(だんかいじょう)という城があった。城主は織田信長が西美濃から大垣を攻める大垣城攻略のために派遣した、尾張津島神社の神官の次男、祖父江国舎(そぶえくにのり)である。津島神社の神官は昔から現在に至るまで祖父江という姓を名乗っている。 戦国時代は [...]
段海村には淡海城(だんかいじょう)という城があった。城主は織田信長が西美濃から大垣を攻める大垣城攻略のために派遣した、尾張津島神社の神官の次男、祖父江国舎(そぶえくにのり)である。津島神社の神官は昔から現在に至るまで祖父江という姓を名乗っている。 祖父江国舎 [...]
室町時代(1429-1441)に多芸郡内の16箇村の庄屋や地主が30年に亘って懸仏を寄進した。現在懸仏は多岐神社に保管されている。 郡史p.502、町史p.412によれば、永享8年(1436)に多芸郡渋江郷源之定政(みなもとの さだまさ)氏が寄進したという墨 [...]