養老町全域

明治6(1873)年から明治15(1882)年頃まで、岩道村に立心第二学校があった。校長は戸倉三郎氏、教員はA氏のご祖父と常性寺のご住職の二名が務めていた。寺小屋ではなく、集会所のような感じの所ではないだろうか。岩道の早扉神社から南へ行って、左手にあった。今は
[...]

広幡地区の東岩道のあたりには、地元のお寺である常性寺(じょうせいじ)の門徒の他、西福寺(さいふくじ)、大垣市野口町の聚楽寺(じゅらくじ)の門徒がいる。
岩道には全部で4軒ほど、浄土真宗から日蓮宗へ宗派を変えた家があった。
他所門徒が多い理由は分からない。常
[...]

笠郷で、田植えが終わる野上り(のあがり、またはのうあがり)の時期になると野上り団子を作って皆に配った。小麦粉(うどん粉)にあんこが入っていてちまきのような感じであった。地区によっては丸い葉で包んだ。池の淵にあった葉を取りに行った。葉の名前は分からない。

昭和30年代は、高田では昔の女郎遊びはなくなった。
大垣の水門川の横で、女性が屋台を出しており、A氏はそこへよく行った。養老には屋台はなかったが、高田に一杯飲み屋があった。
養老公園周辺では、一杯飲み屋はなかったが、旅館での宴会はよくやっていた。
高田に
[...]

岩道と西岩道は、水をめぐって争いがあった。上下関係により、岩道で水が必要な時は西岩道に頭を下げて頼んでいた。しかし夜中に、水を切りに行って(あぜを壊して)、自分たちの側に水を落とした人がいた。そこを見つかり、喧嘩になったこともある。また、岩道地内でも水の争いは
[...]