昭和30年代は、高田では昔の女郎遊びはなくなった。
大垣の水門川の横で、女性が屋台を出しており、A氏はそこへよく行った。養老には屋台はなかったが、高田に一杯飲み屋があった。
養老公園周辺では、一杯飲み屋はなかったが、旅館での宴会はよくやっていた。
高田には高田芸者がいたように、池野芸者、墨俣芸者、大垣芸者など地域ごとに芸者がおり、それぞれに特徴があった。例えば高田芸者は活発だが池野芸者はおとなしい、など。昔の芸者遊びでは時間の区切りを線香で計っていたが、「今日は2本(約2時間)で」というと、「もう1本(約1時間)いきましょう」というのは墨俣芸者で、非常にしっかりしていた。
高田には芸者の置屋さんがあり、何十人と芸者さんがいた。また、今に比べると一杯飲む機会が多かった。
養老町外の人が養老町に仕事に来たときや、目上の人を迎える時は、お答拝(おたっぱい)をする習わしであった。お答拝の用意をできる人が力のある人と考えられた。

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お答拝(おたっぱい)とは、今でいう接待である。表示位置は高田の商店街を示している。