タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

養老町全域 | タギゾウくんの養老ノート | Page 26
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養老町全域

飯田の住民とお寺

飯田の人で、相順寺の門徒は少ない。飯田の住民の、A家は飯田の相順寺、B家は橋爪の念長寺と直江の蓮光寺、C家は大垣市十六町の光照寺の門徒である。

飯田と飯積

飯田と飯積は、名前は似ているが、領主が異なった。「小畑川の新堤築に関する村取替証文」によると、宝永6年(1709)に水争いで多良の水行奉行、高木五郎左衛門氏が来た時は、飯積は天領、飯田は尾張藩領だった。同証文によれば、小畑川の新堤の高さは飯田側の方は2尺(約6 [...]

飯田の消防団

昭和年代初めの頃、飯田に消防団があった。青年団や消防団の年齢制限は良く分からないが、中学校を卒業すると誘われて、消防団か青年団のどちらかに入った。専業農家は、両方入らなければならなかったので一番大変な立場であった。A氏は11年間か12年間消防団に入っていた。養 [...]

飯田の青年団

昭和年代初めの頃、飯田に青年団があった。青年団の集まりでは、夜によく酒を飲んだ。飲みすぎて怒られたこともある。社務所やお寺、小学校などで集まった。食べ物は、馬肉のひきずり(すき焼き)ばかり食べた。食べたことがない町の人は「馬肉?」と意外そうに言うがおいしいもの [...]

小畑川の蛍

昭和40年代初めの頃(1960年代中頃)、小学校の時に小畑川の天然の蛍を見た。空中防除や田圃の農薬を使うようになってから蛍がいなくなった。平成の初め頃、滋賀県の守山の別種の蛍を放すようになってから、川の傍の家まで蛍が飛んできたが、定着しなかった。 小畑川から [...]