養老町全域

杉本は昔から火葬だった。御代本が使われるようになったのは昭和50年代後半以降のことである。手次ぎ寺の御代本を借りて行った。
子供のみ土葬があった。
法要は、3回忌くらいまでは勤める。
先祖代々の供養として永代経が勤められる。8割以上の葬儀が家で行うことは
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仁位では火葬後のお骨上げのときは喪主が読経するのが通例であったが、悲しみにくれている身内がお経をあげるのは酷だからということで昭和50年後半頃から長老がお経をあげるようになった。

橋爪では、友焼きといい村のお世話方の手で亡くなった方を火葬した。
別庄は一箇所に集まって墓地があるが、橋爪は点在している。橋爪村の東に火葬炉があった。
橋爪のA氏の奥様は昭和27年に嫁いできており、その時には現在の養老サービスエリア付近の堤防に車を止め、そ
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安久の墓地は牧田川堤防の南と元JAにしみの日吉支店(安久166-1)の西の、2箇所にあった。2010年現在は元JAにしみの日吉支店西の墓地のみが残り、その墓地の西には戦没者を弔う石塔がある。古い墓はない。

江戸末期には村上杏園(むらかみ きょうえん)先生が橋爪の自宅の近くで私塾、博済室(はくさいしつ)を開いていた。
明治6年(1873)、橋爪の念長寺で日吉小学校の前身となる日新義校が開かれた。また同年、同じく日吉小学校の前身となる到遠(ちおん)義校が宇田に開か
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