養老町全域

大場のA氏の家は、3~4代前まで魚の卸しをしていた。小作に金を貸した台帳や明治33年の木曽三川分流改修工事の竣工式の寄付を募った文書や魚屋丸七時代の金銭出入金などの資料がある。3~4代前は滋賀県の方へも魚を卸しており、かなり大きな取引をしていたらしい。それによ
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小坪のA氏は小学校4年生まで、駒野文教場に通った。

直江の元庄屋である杉野家では明治以降に駕籠の使用を許可された。他にも4軒だけ駕籠の使用許可が下りた家がある。
南直江から五日市あたりまでの牧田川跡地は杉野家の土地であり、戦時中には飛行機の滑走路として使用されていた。杉野家の屋号は大柳(おおやなぎ)で、近所の
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現在の宇田の北、御霊神社を中心とした安久の辺りは、昔は金屋の金入(かないり)という地名だった。そこに鋳物の生産地があったが、関ヶ原の合戦の時には既に金屋の鋳物師たちは、この地にはいなかった。なお、名神高速工事の際に鉄滓が出たのはこの安久の付近である。
谷汲山
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南直江のあたりには欅(けやき)の巨木がたくさん生えていた。多芸橋周辺にはたぶの木が多かった。
たぶの木は成長が早く、どんどん水を吸って大きくなる。年数と木の大きさは無関係である。