大跡の土地
大跡(おおあと)は低い土地なので元々水がつきやすい。 大跡はかなり大きく、村の南に100町歩の土地がある。 大跡から高田へ抜ける町道の高さは今よりも高かった。昭和36(1961)年~昭和39(1964)年の土地改良の時に現在の高さになった。
タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。
養老町全域
大跡(おおあと)は低い土地なので元々水がつきやすい。 大跡はかなり大きく、村の南に100町歩の土地がある。 大跡から高田へ抜ける町道の高さは今よりも高かった。昭和36(1961)年~昭和39(1964)年の土地改良の時に現在の高さになった。
大跡では昭和30年頃は、村の行事や決め事は青年団が仕切っており、若衆宿もあったが昭和40年頃に解消した。
口ヶ島の盆踊りでは、8月14日に先祖を思いつつ広幡音頭、郡上踊り他を踊る。日付は絶対に変えない。600人程度が参加する。団扇に抽選番号を書いて参加者に配ったり、子供用に金魚すくいで使う金魚を大垣で700匹購入する。飲み物を用意してバザーを行い、参加賞も配る。
大跡では5班に別れ、班ごとで毎年順番に班の当番が伊勢へお参りする。午前中に伊勢へ参拝し、午後から左義長を六社神社境内で行いつつ、代参者をお迎えする。お迎えは社務所で行われるが、昔は宿があった。現在は12月中に神職がお札を持ってくるので、希望者にお札が渡される。 [...]