田代神社
田代神社は、 慶長 6年(1601)12月26日に、本町字古宮から現在地の田代町257-2に水害を避けて遷座した。それに続いて住民も全体的に水の付かない所に移動してきたと田代神社誌にある。一説によれば住民の移動には、当時の地主階級の働きが大きかったともいわれる [...]
タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。
養老町全域
田代神社は、 慶長 6年(1601)12月26日に、本町字古宮から現在地の田代町257-2に水害を避けて遷座した。それに続いて住民も全体的に水の付かない所に移動してきたと田代神社誌にある。一説によれば住民の移動には、当時の地主階級の働きが大きかったともいわれる [...]
沢田の下町、上町をマチ、山手の本郷をマチマチと言った。昭和10年代は店が多く、自転車屋、旅館、雑貨屋、塩屋、菓子屋、家畜商などがあった。また、法事や葬式の請負もあったので、高田まで行かなくてもほとんどの用は沢田内で間に合った。旅館には北陸へ行く旅人や行商人が多 [...]
沢田では赤坂まで荷車を引いて石灰屋へ石灰を買いに行っていた。石灰は酸性化した土壌の中和のため田に撒いたが、背中に背負って作業をしている内に雨が降ってきて石灰が熱を発して熱くなったことを覚えている。 鉤状の道具で稲と稲の間の雑草を引き抜いていく垣内(かぎうち) [...]
白石村あたりは田中一族が半数を占めていた。藤塚一族は山から下りてきて養老村に入り、一時期20軒程あった。現大垣市上石津町打上(うちあげ)の多良の里山から山番の為に山越えをして養老に下りてきていたが、往来が大変なので仮宿を作ったのが始まりである。藤塚代蔵(ふじつ [...]