沢田では赤坂まで荷車を引いて石灰屋へ石灰を買いに行っていた。石灰は酸性化した土壌の中和のため田に撒いたが、背中に背負って作業をしている内に雨が降ってきて石灰が熱を発して熱くなったことを覚えている。
鉤状の道具で稲と稲の間の雑草を引き抜いていく垣内(かぎうち)、駒(ごま)と言われる筒状の道具を回転させることで、稲と稲の間の雑草を引き抜いていく駒回しなど、人力で田の雑草を取る作業が大変だった上に、マムシも出た。
芝刈り、割木集め、百姓、小作などをしていた。昭和7、8年頃の年貢は6俵取れたら4俵を納め、残りの2俵が自分達の分となった。
沢田の集落の27,8軒中の3分の1の家で蚕を飼っていた。9月頃が一番忙しく、その頃は人夫が雇われた。村は農家がほとんどだった。割地から木を切り出して、家まで引っ張って来るのが大変だった。また、枯木を三束くらい背板(せた)で背負って家まで運んだり、小学校の当番ではストーブで焚きつけるために割木を束にして持って行った。

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表示位置は沢田の中心を示している。