大坪の庄屋
大坪の庄屋三宅家は天保の頃(1830~1843)に多良から移住してきた。 大坪や飯ノ木は天領で、庄屋が二人いた。二人庄屋制度という。
タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。
経済
大坪の庄屋三宅家は天保の頃(1830~1843)に多良から移住してきた。 大坪や飯ノ木は天領で、庄屋が二人いた。二人庄屋制度という。
大坪では江戸時代に、小作の方が得であると判断した人が酒を持って地主に田畑を提供することがあった。
西脇光次郎氏は金屋の大地主で、かなりの力を持っていたが、牧田川の改修工事で傾いてしまった。江戸時代の幕府領の庄屋は自普請で改修工事を行わなくてはならなかったためである。
金屋は細長く、向野までつながっていた。 金屋・直江・飯積の三村それぞれが飯積輪中の水を小畑川に流すための樋管を持っており、三ケ村樋管と呼ばれていた。2010年現在も大垣養老高校(祖父江向野1418-4)の西側に存在する。 金屋は、金屋燈明の所から樋管を通し [...]