農業協同組合は、昭和20年に民営化されたが、それまでの農業会時代は国家公務員だった。全国農業協同組合中央会については今も人件費のみ国が支払っている。
信用農業協同組合連合会(信連)は農業会時代からあるが、その頃は米の統制が主で、金融業務はあまり行われていなかった。
県信連や経済農業協同組合連合会、全国共済農業協同組合連合会を始めほとんどの組織が全国統一されており、岐阜は支部といった形になっている。
農業協同組合ができたのは日露戦争以降の食糧供出のための国策による。
昭和41年(1966)に日吉・小畑・多芸東部・室原・高田・広幡・養老・上多度の8農協が合併し養老町農協ができ、昭和51年(1976)にその時に加わらなかった笠郷と池辺を吸収、新養老町農協となった。その後、平成4年に上石津を吸収し養老郡農協となり、平成11年に、西美濃農協を形成している。国指導の「飛騨・岐阜・中濃・西濃・東濃」の岐阜県五農協構想に基づく政策だが、西濃地区は「揖斐と西美濃」に、東濃地区は「めぐみと東美濃」にわかれている。
農協では前日の残金を封筒に入れ封をしたものを翌日まで保管しておく規則になっており、封を切ったものと帳簿との金額が一致しない時には徹底的に調べさせた。

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