タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

経済 | タギゾウくんの養老ノート | Page 53
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経済

直江の庄屋

直江の元庄屋である杉野家では明治以降に駕籠の使用を許可された。他にも4軒だけ駕籠の使用許可が下りた家がある。 南直江から五日市あたりまでの牧田川跡地は杉野家の土地であり、戦時中には飛行機の滑走路として使用されていた。杉野家の屋号は大柳(おおやなぎ)で、近所の [...]

金屋の鋳物師と直江の鍛冶屋

現在の宇田の北、御霊神社を中心とした安久の辺りは、昔は金屋の金入(かないり)という地名だった。そこに鋳物の生産地があったが、関ヶ原の合戦の時には既に金屋の鋳物師たちは、この地にはいなかった。なお、名神高速工事の際に鉄滓が出たのはこの安久の付近である。 谷汲山 [...]

金屋村

以前の正式名称は多芸郡金屋村太夫田(たゆうだ)だったが、合併により養老郡養老町金屋太夫田になった。金屋という地名が行政資料に現れるのは明治6年(1873)に記録された資料が最初だが、関ヶ原合戦時の合戦上の一つとして金屋川原の戦があることから、地名としてはかなり [...]

直江村

直江に2反(約1,983 ㎡)ほどの縄の内という地名があり、島田地区の飛地である。 江戸時代には直江の人々が水がつくのを避けて南から北に移り始めていた。杉野家では元々土地が高く整備されていたため移住はせず、南直江には地主4軒のみが残った。村はもとは全部南直江 [...]

直江、金屋、飯積の力関係

牧田川を改修する前は、毎年水害にあっていた。金屋・直江対飯積で水をめぐって争いがあった。飯積は土地が低く、飯積の水を直江より先に落とす為に定杭を立てたのではないか。 古代は津屋川に牧田川が流れていた。牧田川は伏流水の為、年の半分は水が流れていなかった。 飯 [...]