経済

島田の瀬古割は、北井口、井口、井口中組と別れていた。
島田八幡神社が位置する所の小字は才勝(さいかち)である。
島田村本郷はかつて養老の中心地だった。島田住民は本郷から移転してきて、百姓が現在の島田地内に残り、庄屋は高田の町のほうへ移住した。
川島姓は島
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島田の用水は五日市川や湧水によりまかなわれていた。
新川は1番圦(ゆり・突堤のこと)から4番圦、そして横除(よこよげ)まで水を流しており、1番圦のみ現存している。江戸時代に新川の定杭があった。
昭和以降操業している高田排水機場がなかった頃は、字丑墳(うしづ
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島田の浄本寺の山号は養龍山(ようりゅうざん)である。門徒は昔は約80戸程だったが、現在は少なくなってきている。牧田川改修工事の頃には、仁丹の販売代理店をしていた。

高田は名古屋と舟運によって商取引等の関わりが強かった為に車山も名古屋から購入された。
西町車山の彫師立川専四郎も名古屋経由で諏訪から来たのであろうと思う。
山口医院(押越693-1)の西の方に高田の市場があった。金草川の船着場の最終点であり、付近に燈明もあ
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高田を抜ける県道(県道214号線・養老垂井線)は景陽寺から高田西町の信号までほぼ直線だが、道ができた当初はまっすぐ進む道ではなく吉田ふとん店(高田196)の方に曲がっていた。
愛宕神社の裏手に金井清吉氏宅(高田182)があるが、その斜めに入った道から景陽寺の
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