タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

経済 | タギゾウくんの養老ノート | Page 42
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経済

一色のくらし

一色で火葬がはじまったのは終戦後、養老町の斎場ができてからである。それまでは胴藁で友焼きをしていた。一色の辺りの土には岩が混じりあまり棺が大きいと棺を埋める穴を掘るのが大変だった。穴の深さは50~60cmと、できるだけ浅くしていた。 一色村の庄屋はずっと襲名 [...]

横屋の船着場

横屋330のA氏宅の東側の道路は昔、川で船着場があった。一色の人はここまでは荷物を牛で運び、ここからは笹舟で荷を運ぶ為にA氏宅の垣根の槙に牛を繋いで行った。牛の角で擦られて槙が枯れてしまうので、A氏の祖父が「牛繋ぐな」と張り紙をしたが他に繋ぐ所がないので仕方な [...]

上多度地区の生業

下池では、竹で編んだ籠を立てて魚を迷いこませ、最後に竹に網をつけてすくう「えり漁法」が行われていた。他にも、竹の節を抜き筒状にした仕掛けを池に沈めてウナギを獲っていた。 横屋の周辺は堀田が多くあったが、昭和35年以降の耕地整理時に全て埋められた。堀田に発動機 [...]

国枝彦太郎氏と下池の地権

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寛保3年(1743)に志津村の庄屋国枝彦太郎氏が破産し、下池に所有していた土地を保持することができなくなったため、有尾の庄屋栗田氏に権利を譲渡しようとしたところ、それに対して国枝氏の地元である志津村住民から異を唱えられ国枝氏は訴訟された。一連の裁判に関しての資 [...]

有尾の地名

有尾は江戸時代以前からの地名である。 有尾新田と津屋新田とが明治8年(1875)合併して田村となった。