寛保3年(1743)に志津村の庄屋国枝彦太郎氏が破産し、下池に所有していた土地を保持することができなくなったため、有尾の庄屋栗田氏に権利を譲渡しようとしたところ、それに対して国枝氏の地元である志津村住民から異を唱えられ国枝氏は訴訟された。一連の裁判に関しての資料は現在岐阜県歴史資料館に美濃郡代笠松陣屋堤方文書の中に保管されている。裁判の結果を経て、現在は南濃町の飛び地になっている。

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表示位置は国枝彦太郎氏が所有していた土地を示している。