経済

A氏は、昭和29年(1954)に「ひらけゆく郷土」という本を作った。社会科の副読本として、各学校へ15冊位ずつ配った。当時まだ養老町の図書館はなかったので町の図書館には置いていない。
その時の写真は、自分で撮影に行き、現像もすべて自分でやった。
原板は残っ
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広幡地区岩道在住のA氏によると、終戦後の田んぼをやっていた頃は、田植えが済んだ農上がり後は、農休みの決まりを作り、一杯飲みに行ったり、映画を観に行ったりした。

高田の表通りは、変わっていないようで、結構変わっている。
今の大晃堂(高田33)の前に、戦前、土屋八十郎氏が玉泉堂より大きくて歴史的にも古い酒屋、土屋八十郎商店(代表者田中未松氏)をやっていた。昭和26年(1951)、その場所に高田劇場が出来た。学校の子ども
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朝日新聞の記事中に、小畑村国民学校と青年学校(高等科の前身)の勤労奉仕で、祖父江輪中堤の天端(てんば、堤防の一番高い所)の開墾をしている写真がある。戦中は大豆などを栽培して食糧増産を図る為に、土手の堤防の荒地を授業後に鍬鋤を振るって開墾した。
写真を見ると祖
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笠郷で、田植えが終わる野上り(のあがり、またはのうあがり)の時期になると野上り団子を作って皆に配った。小麦粉(うどん粉)にあんこが入っていてちまきのような感じであった。地区によっては丸い葉で包んだ。池の淵にあった葉を取りに行った。葉の名前は分からない。