朝日新聞の記事中に、小畑村国民学校と青年学校(高等科の前身)の勤労奉仕で、祖父江輪中堤の天端(てんば、堤防の一番高い所)の開墾をしている写真がある。戦中は大豆などを栽培して食糧増産を図る為に、土手の堤防の荒地を授業後に鍬鋤を振るって開墾した。
写真を見ると祖父江輪中の輪中堤は、現在の倍の広さがあった。昭和17、18年の頃の写真であろうか。学生が持っているのはハト鍬と言って、タケノコを掘るバチ鍬である。また、記事の写真の裏には昭和13年に方円堂(ほうえんどう、高田の書店)で一円で買ったと書いてある。

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表示位置は祖父江輪中の堤防を示している。