日吉

養老公園の老舗料理旅館掬水(きくすい、養老町養老公園1286-1)は明治23年(1890)に創業した。創業者は養老町中の高木賢次郎(たかぎけんじろう)氏である。
その後、息子の代になって、名古屋紡績が旅館を購入した。名古屋紡績の本社の人が支配人として時々旅館
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昭和3年(1928)の御大典の時は、10日間程行事や余興が続いた。橋爪の村人は神輿を作ったり、乙坂に向かう御輿に子供達は付いて行った。

昔は毎年7月15日の農休みに各戸から戸主が集まり、地主の屋敷でムシロをひいて酒と御馳走を食べた。当時は上下の身分が厳しく地主が権威的であったので、地主の命令で村中が出席しなければならなかった。
小作が地主の家に行く時は着物を着換えて、入口に入ると立ったままで
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美濃の中道はいつ頃からあったのかは不明であるが、室町末期には消失したと思われる古道である。美濃の中道がいつ頃山家道(やまがみち)と名称が変わったのかも不明であるが山田用水の牧田川取り入れ口のすぐ下流側の道を九里半街道山家道とよんでいた。
沢田から乙坂に渡って
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養老町の橋爪は昔から水に苦労していた。また、日吉地区の下流の地域は、特に排水に苦労していた。
象鼻山の南側の麓に、絶対に枯れない小さな泉があった。A氏が子どもの頃の昭和初期に旱魃がくると親に頼まれてやかんを持って水を汲みに行った。
川の水は上流でチフスや赤
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