タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

広幡 | タギゾウくんの養老ノート | Page 4
ブラウザを認識できませんでした
レイアウトが崩れる可能性があります
(サポート対象:FireFox,Chrome,IE8以降等)

広幡

広幡地区の江浚え

江浚え(えざらえ)とは、水路掃除のことである。口ヶ島(くちがしま)の水路は用排水兼用であり、金草川(かなくさがわ)から水を引いている。 口ヶ島では、年に2回(4月第1日曜日、8月第3日曜日)村全体で江浚えを行っている。4月は、田植えを行う前に用水路から水を入 [...]

株井戸制度

笠郷の下笠輪中や広幡の飯ノ木輪中には株井戸制度(かぶいどせいど)があった。株井戸は水脈によって水量が異なる。岩道、中島は水がよく出る。和田ではあまり出ないのでかなり深く掘る。それでも泥まじりのそぶ水で、今飲んだら下痢をしそうな水質であった。場所によっては、8間 [...]

「ひらけゆく郷土」の執筆

A氏は、昭和29年(1954)に「ひらけゆく郷土」という本を作った。社会科の副読本として、各学校へ15冊位ずつ配った。当時まだ養老町の図書館はなかったので町の図書館には置いていない。 その時の写真は、自分で撮影に行き、現像もすべて自分でやった。 原板は残っ [...]

岩道の農休み

広幡地区岩道在住のA氏によると、終戦後の田んぼをやっていた頃は、田植えが済んだ農上がり後は、農休みの決まりを作り、一杯飲みに行ったり、映画を観に行ったりした。

立心第二学校

明治6(1873)年から明治15(1882)年頃まで、岩道村に立心第二学校があった。校長は戸倉三郎氏、教員はA氏のご祖父と常性寺のご住職の二名が務めていた。寺小屋ではなく、集会所のような感じの所ではないだろうか。岩道の早扉神社から南へ行って、左手にあった。今は [...]