橋爪の御鍬神社祭は10月7日に行われる。太鼓で神事の始まりを告げ、17:00から神事を行う。
総代長が祝詞を読み上げ、全員で参拝したのちに直会を行う。
氏子は東組、西組、北組、中組の4組から各2名の氏子総代を計8名選ぶ。任期は2年である。総代長は1名で、任期は6年である。
チラシで氏子全体に告知をして参拝者を集めている。
昔から篠塚神社の大祭は10月5日、神明神社は10月6日、御鍬神社は10月7日だった。人を集めるために篠塚神社の大祭のみ10月の第一日曜日にした。

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正覚寺は洪水により流れている。大矢玉秀の絵なども保管されていたが流失してしまった。
正覚寺が流れたとき金屋82番地の裏の竹やぶから地蔵が上がった。垂井街道ができたときに道路に面した正覚寺の敷地の東端に安置された。
正覚寺の報恩講は11月の第2土日に執り行われる。

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牧田川(まきたがわ)は、木曽川水系の一級河川である。岐阜県大垣市上石津町の五僧峠付近に水源があり、岐阜県大垣市と養老町、安八郡輪之内町を流れる。全長41.1 kmで揖斐川に合流し、伊勢湾へと流れる。
広瀬橋の辺りの牧田川を別名広瀬川というが、その辺りに渡しがあったことは覚えているが、渡し場の名前は失念した。
昭和8年(1933)に牧田川は改修工事によって現在の形になった。
以前は牧田川と杭瀬川は烏江で合流していたが分流改修により、現在は牧田川左岸堤防が中堤になっている。
牧田川の東側は大垣輪中、西側は瀬多輪中である。
昭和19年頃に室原のA氏が内務省から旧長良橋を貰い受け牧田川の背割提(せわりてい)の中に隠した話しを、B氏が聞き確認した所、橋は実際に存在した。その橋で烏江橋が建造された。現在の牧田分流記念碑の場所に橋が隠されていた。
昭和51年(1976)9月12日夜、牧田川と杭瀬川の中堤が烏江地内で決壊し、堤上にあった分流記念碑が杭瀬川に流された。現在の分流記念碑は杭瀬川の川底から堀り出されたものである。
碑が流された1976年の洪水時、牧田川は杭瀬川よりも4m高かった。元々2本の川の高低差はさほどなかったが、牧田川が暴れ川だったので砂利が少しづつたまり、天井川になったものである。
広瀬ダム付近の牧田川の改修工事では大型の重機で掘り、トロッコで砂を運んでいた。

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薩摩義士による三川分流の時、橋爪には船着き場あり、そこから石や一軒の長さに切った木材(これを「つだ」と言う)を船で運んだ。その安全祈願のために祀ったのが橋爪の金刀比羅神社の始まりであるという説もある。
金刀比羅神社祭は、ここ1960年代から50年来様式が変わらない例年の神事である。また、この神社の祭りは秋の小祭りのみである。詳しくは「ふるさと橋爪」を参照のこと。
橋爪には「武佐祭」と言う盛大な祭が明治頃まであったらしいが、いつの間にかなくなった。三日三晩は飲み明かしたという話が伝わっている。

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養老町日吉の宇田には馬頭観音がある。未調査のため、詳細は不明である。

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