角田、杉本の住民にとっての氏神は八幡神社なので五社神社とはあまり縁がない。
八幡神社については、いつごろ建立されたか不明である。八幡社のお祭りを例年10月5日に行っていたが、平成19年頃から、第2土曜日を中心に行うようになった。70本ほどの灯篭を立てており、2010年現在もろうそくで灯篭を点している。八幡神社の氏子総代は村の有力者が務めていたが、最近は総代役は順番制となった。
仁位では現在、八幡神社と神明神社の二社が合祀されている。過去には宇田の五社神社と仁位の八幡神社と神明神社の二社を祀っていた。八幡神社は五社神社の分神ではなく、五社神社があるにも関わらず、八幡神社と神明神社がある理由ははっきりとしない。
昭和30年代に、部落で仁位の氏神である八幡神社や神明神社があるので五社神社に関わる必要はないのではないかという声があがって、氏神である八幡神社と神明神社のみを祀ることになった。
神明神社は400年程の歴史がある。元は仁位のお墓の西側にあり、現在は跡地に標柱が建てられている。何故そこに神明神社があったのかは不明である。大正年間(1912~1926)に現在地の八幡神社へ移転した。八幡神社の鳥居に刻まれている文字は大正7年もしくは8年である。神明神社は神社庁に申請されていない。
毎年4月1日神明神社の祭を行う。境内にたぶの巨木があり、現在は仁位の八幡神社の御神木となっている。
自宅2階で玉音放送を家族親族のみで正座して聞いた人や、出兵先から日吉に戻ってきて隣近所が集まって聞いたという人がいた。仁位に1軒、別庄に1軒ラジオを所有している家があった。
徳願寺は蓮如上人の弟子であった伊豆の伊東彦重郎(いとう ひこじゅうろう)氏が夢のお告げで安久に移ってきて、応仁2年(1468)に創建されたといわれている。徳願寺の近所に住むA氏の先祖も伊豆から伊東彦重郎とともに移ってきた。徳願寺は江戸時代には寺子屋として使われており、昭和初年頃から農繁期には宇田の西徳寺、安久の正覚寺、徳願寺の3カ寺で一年交代で保育園を開いていた。2010年現在の住職は、15代目である。徳願寺の門徒は主に安久・中・橋爪・仁位の住民だが、昔は安八郡輪之内町福束にも門徒がいた。
平成15年(2003)の蓮如上人500回忌に際して御堂の改修を行った。過去には濃尾震災にも耐えてきた。相焼香は直江の蓮光寺である。
橋爪の門徒は8軒と半門徒があった。現在徳願寺は門徒が離れていっており、門徒数が少なくなりつつある。報恩講は2月最後の土日に開かれる。報恩講は門徒が世話をしている。
徳願寺に幽霊の掛軸が保管されている。時代は不明だが徳願寺の歴代住職の内の一人が書いた墨絵で、橋爪へ常半に行く途中のどこか、松の木と石のあった場所に出たといわれる女性の幽霊を描いたものである。その絵を見ると、実際に幽霊がでると言われている。
常半の御布施は一年分先納めする。昔は常半1回で米一升を納めた。
明治35年頃の徳願寺の門の写真がある。
徳願寺の花まつりは4月8日に近くの寺院と持ちまわりで行われていた。昔はお庫裏さんがオルガンを弾いて子供たちと歌を歌っていた。現在はレンゲの開花を待って5月8日に行われ、レンゲの花で花御堂をつくる。