宇田郷は仁位、北野、角田、杉本から成る。なお、宇田は昔は「唄」という地名だったらしいという意見と、有田郷(ありたごう)と記載のある文書があり、音読みでウタと読んだのではないかという意見があった。
宇田の五社神社の東あたりに宮東といわれていた土地があった。
豊の北は三反田(さんだんだ)という小字名である。
よく角田、杉本という順で表記されるが、本来は杉本の方が元は本村であるので杉本、角田の言い方の方が正しいと考えている。
日吉地区の東端の杉本から見て、角田の方は土地が高い。さらに北野は「馬の背」と呼ばれて周辺の集落より一層土地が高くなっている。
杉本のA氏宅(宇田821)は門から母屋までなだらかな傾斜がつけられており、母屋は2mほど高くかさ上げされている。

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現在は牧田川沿い、岡ヶ鼻に橋爪第一水防倉庫があるが元は橋爪神明神社前にあった。

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西勝寺の東辺りは人の往来が多くあったので関街道という字名がつけられていた。親鸞聖人が関東から京に行く時にこの宇田の辺りを通ったといわれている。

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日吉の地名の由来は分からないが、好字にあてたのではないかといわれている。

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橋爪は橋詰(はしつめ)と江戸初期の文書に表記されていた。
飛地は、属地または属人といい、地主が居住する地名でその土地が呼ばれた。例として、橋爪のある家が五日市に畑を所有していた時、そこは橋爪と呼ばれた。
本郷と飛地は距離的に離れていることから互いの関係は希薄になり、土地改良後は飛地の字名は周囲の土地名と一体化されてしまった所もある。
橋爪に大門という字名があったと伝えられているが、詳細場所は不明である。そこに建物の礎石と思われる石があったらしいが、土地改良の際に撤去されている。

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