横屋のA家は高須の禅寺が男門徒、有尾の明楽寺が女門徒となっていた。女性が亡くなった場合は明楽寺で法要を執り行われたが、現在は男女関係なく禅寺の方で法要を執り行う。
B氏は下多度の小学校を卒業後すぐ工場に行って働き始めた。14,5歳の時に予科練に志願、岐阜の公会堂まで試験を受けに行き、乙種合格をした。
戦後は百姓になり、自然薯を掘ったりしていたが、やがて大工になり、多度、桑名、津島、甚目寺などに行った。当時大工の需要は多かった。

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昭和34年の伊勢湾台風と集中豪雨では、直江谷(大字白石字小谷山)が荒れた為、その下流の水田が被害を受けた。鷲巣の水田の稲は2度水が浸いた為にほぼ全滅した。残った稲を刈り取ったが腐ってしまっており、町から配給を受けて1年間凌いだ。

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昭和33年頃に一色に簡易水道が作られた。一色の辺りはつい最近まで簡易水道を使っていた家が多い。平成22年の8月までには一色全戸の上水道への水道工事が終わる。昔は山の上に浄水場があり、貯水槽から水を取っていた。風呂水などは谷水を使っていたが、カニやらミミズやらが混じっていた。
また、一色の家々は掘り抜き井戸も使っていた。掘り抜き井戸とは、地下深く穴を掘って地下水を湧き出させる、いわば自噴水である。
今熊谷の一番大きな堰堤は付近から運んだ自然石を使用して、昭和15年頃完成した。そのため一色には石積みの職人が大勢いた。現在は堰堤が埋まってきてしまっているので、合計何本あるのか正確には不明である。

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南小倉では虫送りは昔はあったと聞いているが、今は行っていない。疱瘡送りは昭和後半位前までは行っており、桟俵におにぎりをのせて辻などに置いてあった。

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一色、北小倉、南小倉、有尾、田のいずれも粥占いを行っていない。

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