三郷輪中堤防の草刈りは、田地区の土地改良区という組合をつくって行っている。また養老町から津屋川の堤防の草刈りなどの管理も委託されている。
江ざらえと呼ぶ農業用水掃除の後に田地区の総会を年2回行っている。

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昭和20年代には、小倉谷の砂防工事はほぼ完成していた。堰堤は赤岩神社の上に1ヶ所、その南に1ヶ所ある。平成になってからもっと奥の方も工事をした。
小倉の村は6組に分け、各組12~13戸から構成されていた。組単位で小倉山の割り当ては決まっていたが、小倉谷に流木となった枝などは薪等に利用する為に自由に持ってくることができた。終戦過ぎの頃まで、割り木にして里へ藁と交換しに行った。小倉山は区有林なので土地は売買できないが、薪は良く取りに行った。
小倉の林道は昭和20-30年代にかけて、小倉の6組の人たちが自普請した。林道の長さは約3kmあった。
小倉山をかねほり山というのは聞いた事がある。小倉山中からは昔鉛鉱が産出していて、かねほり山と称されていた。

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小倉谷からはほとんど水が出ないので、生活水は津屋川から取っている。小倉には河間がたくさんあった。石を組んで囲い、洗濯場にしていた所もある。昭和30年代にはつるべ井戸もあった。津屋川の水位があがると河間の水量も増える。河間は、鷲巣の専明寺付近から小倉にかけて点々と湧いている。
西小倉は赤岩神社近くの浄水場から水を引いている。

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田では伊勢代参と秋葉代参を行っている。どちらも集落からくじで選ばれた4人が参拝する。日程については特に決まってはおらず、選ばれた人達で相談して総会の日までに行く。伊勢迎えのような儀式は特にない。参拝して受けてきたお札は一枚を神明神社に奉納し、他は各戸に配る。
秋に脱穀していた籾が盗まれたのを契機に、盗難防止のために南宮さんをお参りするようになった。昭和後期頃までは田んぼの中に竹を4本立て、杉の木で小さな祠を作って南宮さんを祀っていたが、集落内で火災が多かったため秋葉神社も祀るようになった。
今は、神明神社の右側に秋葉神社が合祀されている。

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北小倉では笛の練習用に、10月の八幡神社の本祭りに吹く曲を譜面に起こしてある。9月に入ったら笛の保存会のメンバーが練習を始める。メンバーに年齢制限は無く、後継者確保のために消防団に入る人には必ず声をかけている。伊勢音頭は町内で声に自信のある人が担当する。替え歌にして歌うこともあるが、「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城で持つ」の辺りはいつも同じである。
南小倉では昔は笛などは1対1で見よう見まねで覚えたが、今から30年ほど前に、演奏している様子を8mmで撮影して笛の譜面を作った。盆過ぎから予定を組んで笛の練習を始める。若宮からも笛を教えて欲しいと言ってきたことがある。笛は今尾(海津市平田町)の天野屋という店で4500円で購入した。笛は4曲、太鼓は2曲あり、その内1曲はデンガラカシと同じ曲である。八島崩し(ヤシマクズシ)という、一人で途中まで吹く曲がある。

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