昭和20年代には、小倉谷の砂防工事はほぼ完成していた。堰堤は赤岩神社の上に1ヶ所、その南に1ヶ所ある。平成になってからもっと奥の方も工事をした。
小倉の村は6組に分け、各組12~13戸から構成されていた。組単位で小倉山の割り当ては決まっていたが、小倉谷に流木となった枝などは薪等に利用する為に自由に持ってくることができた。終戦過ぎの頃まで、割り木にして里へ藁と交換しに行った。小倉山は区有林なので土地は売買できないが、薪は良く取りに行った。
小倉の林道は昭和20-30年代にかけて、小倉の6組の人たちが自普請した。林道の長さは約3kmあった。
小倉山をかねほり山というのは聞いた事がある。小倉山中からは昔鉛鉱が産出していて、かねほり山と称されていた。

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表示位置は小倉山を示している。