養老山の土地を白石、押越、島田、直江で争い、代官所で裁判が行われた。
養老山に直江の土地があり、その部分は小谷山(おたにやま)と呼ばれる。小谷山では、薪、牛馬の餌になる草などを採った。直江には鍛冶職人が多く住んでいたといわれ、燃料となる薪が直江の山から取れるのは好都合であった。資源の豊富な山であるが故に天領となった。
江戸時代から小谷山は直江村の土地となった。直江住民60軒分の名義だったが、平成20年に春日神社の名義に変更した。
小谷山の谷の北に直江谷という、段々畑がある。小谷山の広さは五十四町歩あり、直江の春日神社の氏子66軒で組ごとに世話をしている。2011年現在も年に1回、9月の第1日曜日に小谷山感謝祭が行われている。柏尾より南は中世以降の山の所有に関して、白石、押越、島田、京ヶ脇も養老山に村の土地を所有している。
養老町直江は、以前は1月14日には左義長があった。前日にお粥に竹の筒を入れて炊く、粥占いも行っていた。2010年現在は、1月の第2日曜日に粥占いを10時から、左義長を14時から行い、占いの結果は集落内の各戸にFAXして伝えている。現在でもこれらの行事に50人程は参加している。
養老町直江の武佐は本郷・中・西の3組で行う。おこわや竹で作った弓を奉納している。以前は1月18日に行っていたが、2010年現在は1月の第4日曜日に変更されている。武佐を行う祭り宿が20軒ほどあり、茶碗に紙を入れてくじを引くことで当番を決めた。祭り宿では、武佐で使用する弓やお供えを作る場所を提供した。2010年現在では春日神社(直江)の社務所で弓やお供えを作っている。
金屋の伊勢迎えについて、2010年現在は伊勢神宮からお札が送られてくるので、金屋の行事として伊勢まで行くことはない。今は、送られてきたお札に対して、集会場で伊勢迎えのお祝いをする。
武佐と伊勢迎えの当番として、武佐が1名、伊勢迎えの2名をくじで選ぶ。現在、金屋の行事に携わっているのが旧戸の38戸のみで、アパートに住む82軒は含んでいないため役の回りが早い。
養老町金屋は、左義長や武佐、伊勢迎えは行っているが、粥占いは行っていない。
向野には最初に移住して来た細川栄一氏が建てた向野神社がある。
細川栄一氏が猿田彦神を勧請して、向野(むかいの)神社を飯積輪中堤の上に建立した。輪中堤は県有地のため、金額は不明であるが借地料を納めているのではないかと思う。昭和20年代は現在ほど管理が厳しくなかったため、個人が官地に神社を建てることが許されたのではないかと推測できる。
向野は直江の出郷(でご)である。
直江では伊勢神宮のみに詣でていたが、直江の出郷である向野では伊勢神宮と猿田彦神社に詣でていた。
向野神社のお祭りは10月第2週の週末に行っている。