御井(みい)神社は養老町に3社ある式内社の内の1社である。
今までに2回移動しており、元々は早崎石油(金屋427)の西にあった。2010年現在は石碑が建っている。そこから、昭和10年代に金屋集会所に移り、やがて名神の工事に伴い現在地の金屋の春日神社の脇に移動した。
象鼻山が爆撃された時には田植えをしていたが、皆、御井神社の縁の下にもぐりこんで避難した。
表示位置は御井神社の碑を示している。
タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。
御井神社(直江)の移転について
御井(みい)神社は養老町に3社ある式内社の内の1社である。
今までに2回移動しており、元々は早崎石油(金屋427)の西にあった。2010年現在は石碑が建っている。そこから、昭和10年代に金屋集会所に移り、やがて名神の工事に伴い現在地の金屋の春日神社の脇に移動した。
象鼻山が爆撃された時には田植えをしていたが、皆、御井神社の縁の下にもぐりこんで避難した。