西町の氏子総代は選挙で決められ、任期は3年である。祭事委員が15名選出される。内委員長が1名、理事が2名、会計が1名である。祭事委員長が選挙を取り仕切り、委員以外から氏子総代を選出する。昔は氏子総代は襲名制だったが、現在はあまり世襲しない。氏子総代は車山の巡行等にはあまり関わらず、神事の対応にあたる。
祭りの間は、御神灯を出して家の通り側に幕を張ったが、現在幕を張る家は半分もなく、例えば神様が御旅をして家の前を通られる時は家から出てきて頭を下げるなどのしきたりも薄れている。30~40年程前(2011年現在)には高田に転居してきたが祭りの対応が大変でまた引っ越した人もいる。
3車山間での意見の行き違いや衝突が多かったため、円滑に祭りを進められるように、車山の巡行時間や奉芸の時間など3車山間で打合せがされたものがマニュアル化された。
東・中町は個々の家からではなく権力のある家が祭りに寄進を行っていた。
津田家、中村家、佐竹家、田村家、山崎家が愛宕神社や祭りに対して多大な援助を行ってきた。

大正以前は地主や庄屋が高田祭りの費用を捻出していたと思うが、それ以降は町内で割当して負担している。各戸の納税額が開示されていた頃は、家の間口の広さと納税額の割合で負担額が決まっていた。現在は10~15人いる祭事委員は12000~15000円、その他の氏子は千円~数千円を負担する。西町は昔は愛宕西と愛宕東の2町内に分かれていた。愛宕西から5人、愛宕東から7人役員を選出していたが、戸数割りに合わないため2町内一括でまとめて15人役員を選出するようになった。最初西町の祭事委員は8~10人だったが、徴収金額を増やす為に祭事委員も増員した。決まった金額でなく志で多く負担して下さる方もいる。

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愛宕神社や祭りに対する援助の話は、西町車山略史より。 表示位置は愛宕神社を示している。