愛宕神社の南に地蔵堂があり、また愛宕神社のそばに小さな禅寺の庵があった。地蔵堂の地蔵祭りに使っていた行灯を洗っていたところ、下紙に「森月庵(しんげつあん)」と書かれていることが発見された。
高田に森藤(もりとう)という屋号の油屋があり、森藤造(もりふじぞう)氏が経営をしていた。柏渕氏と並ぶほどの油屋で、柏渕氏の隣に住んでいた。その森藤に関するお寺ということで森月庵と名付けられたと聞いているが、今となっては確認することはできない。
森藤造氏の念持仏として仏像が森月庵にあった。
A氏は垂井町朝倉山の真禅院から森月庵に宛てられた手紙を見たことがあるが、真禅院とどういう関係だったのかは不明である。
森月庵の敷地は明治時代に買い取られ、お寺を解体してからは、10体ほど安置されていた仏像も散逸してしまった。一部は廃仏毀釈の際、即心寺に預けられたが、その時の地蔵がどれかは現在は分からなくなってしまった。他の地蔵は、所有者が何回か移り変わった様子である。
愛宕神社本地仏の地蔵菩薩木像が即心寺に保管されているはずである。
愛宕神社境内には菅原道真を祀る天満宮がある。神社の天神祭りは本来8月3・4日に行われていたが、最近は地域の夏祭りと併せて行われるようになった。

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愛宕神社境内のお堂は、観音堂、天満宮などいろいろ意見が出ている。 高田町の古絵図より、観音堂は元禄13年(1700)以前に創設している。 表示位置は森月庵を示している。