江月伏越樋管(えつきふせこしひかん)は小畑川の川敷きから牧田川の川底を通って烏江に水を落とす仕組みになっており、厚さ10cm~12cmの松の板を木枠に使ってトンネルにした。現在でも牧田川の下には工事の名残として伏越樋の木枠が残っている。堤防等水位の高低差のある所へはサイホンで水を流した。水を汲み上げるのに、大正の頃(1912-1926)はポンプを蒸気機関で動かそうとしたが、うまくいかず爆発してしまった。それによって村は莫大な借金を背負ったが、当時の江月の数名の地主が頭割りで払った。大正末期に電気でポンプを動かそうとしたが、モーターの出力が足りなかった。馬力を上げようとしたが、費用が集まらず苦労した。
天明5年(1785)に牧田川の江月伏越樋管の工事に着手した。江月では用水は小畑川から取っていた。大垣側が杭瀬川の利権を持っており、用水が必要な時期になると大垣側に水を落としてしまうので水位が下がり、江月では杭瀬川から用水を取ることはできなかった。

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「郷土の治水」p.15に資料あり。 表示位置はポンプを蒸気機関で動かそうとした場所を示している。