こおり柳の皮を子供に剥かせて一束何銭かで梱包材として使用するために買い取ってもらっていた。
冬期はわら細工により収入を得ていた。
小豆はかつて米より価格が高く、農家の副業として泥川堤防に植えていた。
室原には生糸市場もあった。
政府が強制的に米を買い上げる供米制度では、室原と栗原の収穫量に相違があり、室原のほうが評価が高かった。

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表示位置はこおり柳の自生地を示している。