大海人皇子(おおあまのみこ、天武天皇)は壬申の乱の時に吉野を出立して伊賀、伊勢国を経由して美濃に逃れたといわれている。その際に通ったのは養老側か、上石津側かは分かっていない。
桑名で少し休憩されるのだが、船で運べるような物資の量ではないことを考えると陸路であろう。桑名以降は養老で泊まらずに一気に関ヶ原まで行っている。壬申記に細かく書いてあるが養老は出てこない。
大垣や池田町安八郡あたりの勢力が最初に、その後武儀郡(むぎぐん)や各務原などの西濃の勢力が天皇についた。
象鼻山付近の豪族は天武天皇側についたようである。
尾張は朝廷側に就こうとしたところを天武天皇に見つかって寝返った。
表示位置は養老の山裾の道を示している。