観光旅館清風楼(せいふうろう、岐阜県養老公園1285)は、昭和4年(1992)頃の春に創業した旅館である。
創業者であるA氏のお父様の出身は、愛知県である。最初は岐阜に来て岐阜駅から長良を結ぶ路線のバス会社を経営していた。
清風楼という名前は創業者が茶道の言葉から名付けた。
旅館の食事は、先代はすき焼きを出していた。A氏が子どもの頃の昭和40年代はすき焼きといえば牛肉だったが、お母様が馬肉の話をしていた記憶があるので、A氏が生まれる前は馬肉を使っていたのかもしれない。
養老町の日吉や室原辺りに行くとすき焼きのことを「ひきずり」と言い、肉は馬肉であった。昭和の始め頃は馬肉の方が入手しやすかったのかもしれない。昭和40年代は鶏肉しか手に入らないという理由から、すき焼きと言えば鶏肉を入れていた所も養老町内にあったと聞いたことがある。
昭和30年代は鯉や鯰などの川魚料理もよく出していた。海津市のお千代保稲荷の老舗の店ででてくるような鯰をA氏が子どもの頃には家でも食べていたのを覚えている。昭和40年頃もまだ川魚を出していて、お客様は十分満足していた様であった。お客様は養老の地元の方が多かった。魚は魚屋から運んでもらって、養老の水にしばらく入れておくと臭みがとれた。旅館千歳楼(せんざいろう、岐阜県養老1079)さんでも川魚料理をだしていた。清風楼に比べると千歳楼さんは後々まで川魚をよく使っていた。千歳楼さんのお客様には、かなり上流社会の人がいた。
豆馬亭(とうまてい、岐阜県養老公園1282)さんが猪鍋料理をだし始めた頃、同様に清風楼も猪鍋料理を出し始めた。それから20年ぐらい出していたがやがて止めてしまった。
養老の水は大変良いと言われている。清風楼は昔から白石地区とお付き合いがあるので、菊水泉の水を引かせてもらっている。一時期、ゆせんの里(岐阜県養老町押越1374-50)の温泉の水を運んでいたが、現在は菊水泉の水でお風呂を沸かしている。

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清風楼の屋号は『清風喫茶往来』と言う。禅宗茶道より初代店主がつけたと言われている。表示位置は観光旅館清風楼を示している。