池辺と今尾の関係
池辺と今尾の交流は、渡船が主であった江戸後半~昭和の初め頃はあまり盛んではなかった。昭和8、9年頃に揖斐川に今尾橋が開通してから今尾は、池辺の住民にとって、図書館へ行ったり、買い物をしたり、今尾中学校に通うなど、生活の中心になった。 今尾橋から、東側の子は今 [...]
タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。
地域
池辺と今尾の交流は、渡船が主であった江戸後半~昭和の初め頃はあまり盛んではなかった。昭和8、9年頃に揖斐川に今尾橋が開通してから今尾は、池辺の住民にとって、図書館へ行ったり、買い物をしたり、今尾中学校に通うなど、生活の中心になった。 今尾橋から、東側の子は今 [...]
正式名称は「若連中」だが、単に「若い衆」 ともいった。高等小学校卒業後(17歳)~結婚するまでの独身男性の集まりで、祭典行事を行った。若い衆に入れば、村役では一人前になれた。当時は、23、4歳で結婚する人が多く、遅くとも25歳までには結婚した。
昔の養老公園の地図によると偕楽社は千歳楼(せんざいろう、養老1079)からかなり離れ、養老鉄道の貸地と書いてある場所に描かれている。ただし「偕」楽社ではなく、「階」楽社となっており、誤植なのか何らかの意味があるのかは不明である。 A氏の記憶では、偕楽社は養老 [...]
養老公園の村上旅館が豆馬亭(とうまてい、養老公園1282)になる前から瓢遊亭(ひょうゆうてい)の建物はあった。村上旅館の建物は元は瓢遊亭の持ち物であったが、村上雄三氏が買い取ったという話を聞いたことがある。豆馬亭が瓢遊亭だったという話もあるが、はっきりした事は [...]