地域

昔は毎年7月15日の農休みに各戸から戸主が集まり、地主の屋敷でムシロをひいて酒と御馳走を食べた。当時は上下の身分が厳しく地主が権威的であったので、地主の命令で村中が出席しなければならなかった。
小作が地主の家に行く時は着物を着換えて、入口に入ると立ったままで
[...]

美濃の中道はいつ頃からあったのかは不明であるが、室町末期には消失したと思われる古道である。美濃の中道がいつ頃山家道(やまがみち)と名称が変わったのかも不明であるが山田用水の牧田川取り入れ口のすぐ下流側の道を九里半街道山家道とよんでいた。
沢田から乙坂に渡って
[...]

養老町の橋爪は昔から水に苦労していた。また、日吉地区の下流の地域は、特に排水に苦労していた。
象鼻山の南側の麓に、絶対に枯れない小さな泉があった。A氏が子どもの頃の昭和初期に旱魃がくると親に頼まれてやかんを持って水を汲みに行った。
川の水は上流でチフスや赤
[...]

丸毛兵庫頭(まるもひょうごのかみ)は明応5年(1496)に多芸の大墳城主になった。兵庫頭は秀吉に願い出て、福束城(輪之内町福束)を与えられ、領地も1万石から2万石に増えた。自分の妻・丸毛不心斎(まるもふしんさい)女房(61、62歳)を関白秀次の妾として出してい
[...]

養老町の三方山山頂にある牧場の少し下にあせび平という場所がある。この辺りはなだらかな斜面になっており、昔スキー場があった。
養老公園内にある「親孝行のふるさと会館」前の土産物店の店主であるA氏のお父様が現在の妙見堂のあたりでスキーの貸具をしていた。
養老白
[...]