地域

飯田には巾3尺の里道が多い。
大垣街道沿いの為、飯田は人の往来が多い。

飯田の庄屋佐竹家(飯田143)のはす向かいに薬屋の山城屋があり大きな門があった。その隣には東北大学の青山博士の生家、種油の油屋があった。
青山新一博士は明治時代、養老郡で最初に博士号を取った人物である。

養老街道の旧道には燈明や地蔵がある。
飯田の養老街道沿いには桶屋やお茶屋など多くの店が並んでいた。また、養老街道は伊藤博文総理大臣も養老に行くために通ったことがある。

大坪団地は、以前深い池沼だった。
牧田川が決壊すると小畑川、色目川を乗り越して大坪側に水が流れ込む。大正6年(1917)の水入り(牧田川の決壊)で、付近の家屋の2階まで浸水した。大坪の大橋治六(おおはし じろく)氏宅前の色目川堤防の色目橋上で牛の腹の高さまで
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江月樋門の周辺に杭瀬川からの水圧がかかると今でも逆水の不安があり、樋門の所に排水機をつけておかないと安全性が保てないのでは、と懸念している。樋門を下ろして長雨が降ると排水ができず農業学校(現大垣養老高校、養老町祖父江字向野地内)にまで浸水してしまう。昭和60年
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