北小倉の門徒
北小倉では、女門徒は五日市の林覚寺、男門徒は鷲巣の専明寺と、分かれている。女性が亡くなったら女門徒の寺で葬式を行う。 北小倉ではお寺関係の行事はほとんどなく、地元のお寺とのつながりは薄い。 小倉の人では地主はいなかった。
タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。
地域
北小倉では、女門徒は五日市の林覚寺、男門徒は鷲巣の専明寺と、分かれている。女性が亡くなったら女門徒の寺で葬式を行う。 北小倉ではお寺関係の行事はほとんどなく、地元のお寺とのつながりは薄い。 小倉の人では地主はいなかった。
一色で火葬がはじまったのは終戦後、養老町の斎場ができてからである。それまでは胴藁で友焼きをしていた。一色の辺りの土には岩が混じりあまり棺が大きいと棺を埋める穴を掘るのが大変だった。穴の深さは50~60cmと、できるだけ浅くしていた。 一色村の庄屋はずっと襲名 [...]
横屋330のA氏宅の東側の道路は昔、川で船着場があった。一色の人はここまでは荷物を牛で運び、ここからは笹舟で荷を運ぶ為にA氏宅の垣根の槙に牛を繋いで行った。牛の角で擦られて槙が枯れてしまうので、A氏の祖父が「牛繋ぐな」と張り紙をしたが他に繋ぐ所がないので仕方な [...]
下池では、竹で編んだ籠を立てて魚を迷いこませ、最後に竹に網をつけてすくう「えり漁法」が行われていた。他にも、竹の節を抜き筒状にした仕掛けを池に沈めてウナギを獲っていた。 横屋の周辺は堀田が多くあったが、昭和35年以降の耕地整理時に全て埋められた。堀田に発動機 [...]
寛保3年(1743)に志津村の庄屋国枝彦太郎氏が破産し、下池に所有していた土地を保持することができなくなったため、有尾の庄屋栗田氏に権利を譲渡しようとしたところ、それに対して国枝氏の地元である志津村住民から異を唱えられ国枝氏は訴訟された。一連の裁判に関しての資 [...]