タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

分類 | タギゾウくんの養老ノート | Page 63
ブラウザを認識できませんでした
レイアウトが崩れる可能性があります
(サポート対象:FireFox,Chrome,IE8以降等)

分類

白石村の石工

白石村には石工が何人かいた。ヨハネス・デレーケが設計したといわれる滝谷の堰堤も、白石村の石工が石積みを組んだといわれている。石工の石組頭は藤塚久治氏の先祖の藤塚臣右衛門(ふじつか しんえもん)氏が務めた。その中の最後の石工の藤田禊(ふじた みそぎ)氏が柏尾谷の [...]

薩摩義士の砂防工事

養老バーベキュー(養老1173-5)から柏尾谷へ向かう所にある砂防工事跡は、「養老町の古道p.52」によれば、薩摩義士によるものである。津屋川に土砂を流さないために、災害の時は津屋川と反対側に土砂を落とすようになっていた。

京ヶ脇の生活水

京ヶ脇には谷水と井戸のおかげで水を確保できるため人が住みついたのではないかと考えている。町道水が完備されるまでは、谷水で生活していた。谷からの水路を作ったり、竹に水を通したりしていたが、後に鉄管等で水を引いた。養老町が合併した後に、谷の上の方を水源とする谷水を [...]

竜泉

竜泉寺の水取り場の洞窟の奥がどこまで続いているのかを知りたくて入った者がいるが、途中に石が落ちており、最後までたどり着けなかった。 行平谷と威徳谷の暗渠の水は2010年現在も使用されている。年中水が枯れることはない。竜泉寺の宿坊へ水を引くために暗渠を作ったの [...]

上方の雨乞い神事

上方では昔、雨乞い神事が行われていた。琵琶湖を見通せるように弁天様の社が上方山の頂上にあり、松明を点けて山を登って行った。その松明の明かりは大垣からも見えたらしい。雨乞い神事の一部として田んぼでは男性が女装をして踊った。現在は行われていない。 弁天様は白鳥神 [...]