タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

分類 | タギゾウくんの養老ノート | Page 32
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分類

農家の現金収入

牧田川の改修工事の日銭稼ぎは、百姓の青年達が行っていた。昔は、百姓の若者の就職先はなかった。月給で現金収入がある人は公務員等の人達だけであった。これ以外では、地主の家に手伝いに行って、5銭、10銭を稼いだ。

養老小学校統合の話合い

昭和39年(1964)頃、養老北小学校と養老南小学校が統合に関して昭和30年代から喧嘩をしていたが、いつまでたってもまとまらなかった。養老南小学校の代表者、山下氏と氏原氏は、二人とも強引であった。 昭和40年(1965)頃、PTA会長をしていた半田登喜代氏を [...]

子どもの健康を守る会

昭和の半ば頃、養老では、「こどもの健康を守る会」を作り、耳鼻科、皮膚科のお医者さんを岐阜大学から呼んできて、毎年学校健診をしていた。その頃のこどもの体格は小さく、背丈が低く、体力はあまりなかったが、体は丈夫だった。当時のデータは保存していない。

昭和中ごろの遊山

1950年代、A氏は子どもが小さい頃、象鼻山によく遊びに行った。草だらけの細い道を走って登った。松茸は、A氏が探してもちっとも見つからなかった。皆が採った後だったのか、場所が違っていたのかもしれない。A氏のおばさんや子どもたちは小さいのを採って来た。象鼻山の松 [...]

養老町のトラコーマ患者

昭和24年(1949)に養老へ来た時にびっくりしたのは、トラコーマ(伝染性の結膜炎)患者が非常に多かったことである。名古屋ではトラコーマはなく、大学に一人患者がいると珍しかった。また、養老では斜視、弱視、視力の悪い子が多かった。大学でその話をしたら、驚かれ、論 [...]