冨長静丸
養老町室原出身の冨長静丸(とみなが しずまる)氏は、覚民(かくみん)氏の長男である。本名を覚静(かくせい)といった。静丸は号である。子に冨長蝶如(ちょうにょ)氏、孫に冨長覚梁(かくりょう)氏をもつ。漢学の勉強の為、明治22年頃に大分県日田(ひた)へ行き、咸宜園 [...]
タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。
分類
養老町室原出身の冨長静丸(とみなが しずまる)氏は、覚民(かくみん)氏の長男である。本名を覚静(かくせい)といった。静丸は号である。子に冨長蝶如(ちょうにょ)氏、孫に冨長覚梁(かくりょう)氏をもつ。漢学の勉強の為、明治22年頃に大分県日田(ひた)へ行き、咸宜園 [...]
飯田の人で、相順寺の門徒は少ない。飯田の住民の、A家は飯田の相順寺、B家は橋爪の念長寺と直江の蓮光寺、C家は大垣市十六町の光照寺の門徒である。
飯田と飯積は、名前は似ているが、領主が異なった。「小畑川の新堤築に関する村取替証文」によると、宝永6年(1709)に水争いで多良の水行奉行、高木五郎左衛門氏が来た時は、飯積は天領、飯田は尾張藩領だった。同証文によれば、小畑川の新堤の高さは飯田側の方は2尺(約6 [...]
昭和年代初めの頃、飯田に消防団があった。青年団や消防団の年齢制限は良く分からないが、中学校を卒業すると誘われて、消防団か青年団のどちらかに入った。専業農家は、両方入らなければならなかったので一番大変な立場であった。A氏は11年間か12年間消防団に入っていた。養 [...]